青春の音楽、フォークソング。
日本の音楽シーンに大きな影響を与えた70年代フォークソング。
70年代、日本のフォークソング全盛期をご一緒に振り返ってみませんか?
70年代のフォークソング
フォークソングとは?
元来は古くから各地で伝承されてきた民謡や民俗音楽、民衆の価値観や生活の実感から生まれてきた歌を指すが、民謡から派生したポピュラー音楽をも含める。
ポピュラー音楽には、反戦歌などのプロテストソングも範疇に含まれる。
本来のフォークソングの演奏は、アコースティックギターやバンジョーなどを使用した弾き語りを主体とし、フォークロックやロックのように電気楽器は使わないのが伝統的な音楽表現であった。引用:『ウィキペディア(Wikipedia)』
70年代フォークソングと60年代フォークソングの違い
団塊の世代の方々の青春時代だった60年代、当時流行していたのは「反戦フォーク」でした。
1970年に「日米安全保障条約」の期限が切れる事をきっかけに、政府に抗議する学生運動が激化してきて、新宿駅西口の地下広場は、反戦フォークソングを歌う若者で埋め尽くされていました。
「フォークの神様」と呼ばれた岡林信康、高田渡、遠藤賢司、高石友也、中川五郎、加川良らが歌った反戦の意味を込めた「プロテスト・フォーク」が全盛期を迎えました。
70年代になって安保闘争など左翼の大衆運動が衰退すると、今度はポップスを研究して、新しい商業的傾向の創作のフォークソングに変わってきました。
自作の歌でその後の音楽界に大きな影響を与えた吉田拓郎、井上陽水、小室等、泉谷しげるなどの現役のミュージシャン4人がレコード会社「フォーライフ・レコード」を設立。
70年代フォークソングは、政治性のない恋愛や青春時代といった個人の心情を歌う新しいジャンルを確立しました。
70年代フォークソング、どんな歌手が活躍していたの?
ず~っと前に購入した、わが家にあるフォーク全集です。
こちらを参考に紹介していきます。
2巻ほど行方不明ですが、さだまさしの歌が収録されています。
①印象深いのは、稀代のヒットメーカー吉田拓郎、グループとして山本コウタローとウィークエンド、バンバン、猫でしょうか。
②フォークグループ「赤い鳥」のメンバーであった、後藤悦治郎と平山泰代が、「赤い鳥」解散後に夫婦デュオ「紙ふうせん」として活動。
ビリー・バンバンは兄弟デュオですね。
③60年代から70年代初期に活躍したアーティストが多い3巻です。
はザ・フォーク・クルセダーズのメンバーでした。
この3人は70年代フォークに多大なる影響を与えていました。
④トワ・エ・モワは1960年代後半から1970年代前半にかけて流行した和製ラウンジ系ポップの先駆けで、一説によると「フォーク・グループとして売り出したわけではなく、フォーク的な楽曲も皆無に近い」という見方があります。
アリスは1972年代デビューで50年間、ずっと第一線で活躍中です。
⑤荒井由実登場です! 今も大活躍中です。
荒井由実さんに関しては、『荒井由実、荒井由実と松任谷由実の違いは?荒井由実、曲の一覧。』も参考にしてみて下さい。
ユーミンの曲をよく歌うハイ・ファイ・セットは「紙ふうせん」の二人と同じフォークグループ「赤い鳥」のメンバーでしたが音楽の方向性の違いから解散。
山本潤子、山本俊彦、大川茂の3人が同年10月に結成し細野晴臣の案によりグループ名がハイ・ファイ・セットと決まりました。
⑦「北海道を愛するフォークシンガーである」松山千春。
テレビ出演を「出るもんじゃなくって、見るものだから」という理由で拒否していたが『ザ・ベストテン』のプロデューサーの言葉に感銘を受けそれからTVで見かける機会が増えてきました。
⑧全盲のシンガーソングライターの長谷川きよし。
超絶的なギター演奏と、濃密かつ透明度の高い声によるバラードで人気がありました。
「灰色の瞳」は加藤登紀子とのデュエットでした。
加藤登紀子は1960年代後半から現在まで、「おときさん」の愛称で親しまれ、様々な楽曲で数々の賞を受賞し、音楽界の大御所となっています。
大御所と言えば加藤さんと並ぶ、森山良子もフォークソング代表歌手ですね。
⑨「かぐや姫」は南こうせつ、伊勢正三、山田パンダの3人グループで、メンバーそれぞれが活躍しました。
「風」は伊勢正三が元“猫”の大久保一久と結成したフォーク・デュオです。
イルカへ楽曲を提供したりしていました。
⑪上条恒彦と六文銭の「出発の歌」、上条さん個人で歌う「だれかが風の中で」は『木枯し紋次郎』にピッタリの主題歌でした。
⑫今ではすっかり俳優となった武田鉄矢さんが歌手デビューした「海援隊」は70年代デビューでした。
70年代フォークソングのヒット曲は?
70年代フォークで「邦楽ヒット曲 ランキングTOP10」に入っていた曲
71年 | 2位 | 知床旅情 | 加藤登紀子 | 102.8万 |
72年 | 4位 | 旅の宿 | よしだたくろう | 66.6万 |
73年 | 3位 | 学生街の喫茶店 | ガロ | 76.2万 |
73年 | 6位 | 神田川 | かぐや姫 | 58.0万 |
73年 | 7位 | 心の旅 | チューリップ | 50.8 |
75年 | 7位 | 22才の別れ | 風 | 70.8万 |
76年 | 9位 | わかって下さい | 因幡晃 | 61.4万 |
76年 | 10位 | あの日にかえりたい | 荒井由実 | 53.9万 |
77年 | 6位 | 雨やどり | さだまさし | 66.9万 |
77年 | 10位 | フィーリング | ハイ・ファイ・セット | 56.6万 |
78年 | 10位 | わかれうた | 中島みゆき | 62.7万 |
79年 | 4位 | 関白宣言 | さだまさし | 99.0万 |
79年 | 8位 | チャンピオン | アリス | 78.0万 |
※70年・71年・72年・73年・74年の邦楽ヒット曲 ランキングTOP10
日本レコード史上初のLP販売100万枚突破の金字塔を打ち立てたアルバムは?
70年代、LP(アルバム)はEP(シングル)と比べ高価であったが、5度も1位に返り咲くという記録を持って100週以上BEST10に留まるなどロングセールスを続け、発売から2年後に日本レコード史上初のLP販売100万枚突破の金字塔を打ち立てた歌手がいます。
井上陽水の【氷の世界】です。
~収録曲は~
SIDE A
1. 「あかずの踏切り」
2. 「はじまり」
3. 「帰れない二人」
4. 「チエちゃん」
5. 「氷の世界」
6. 「白い一日」
7. 「自己嫌悪」
SIDE B
1. 「心もよう」
2. 「待ちぼうけ」
3. 「桜三月散歩道」
4. 「Fun」
5. 「小春おばさん」
6. 「おやすみ」
「帰れない二人」「待ちぼうけ」は作詞作曲が井上陽水さんと、なんと!忌野清志郎が加わっています。
更に、「白い一日」の作詞は小椋佳、時々、小椋さんも歌っていました。
そして、このアルバムの編曲ほとんどを手掛けている星 勝(ほし かつ)は、鈴木ヒロミツらとモップスを結成し、ギタリスト・ボーカルとして活動していました。
長々と、70年代活躍した70年代フォークソングを紹介してみましたが、まだまだ紹介しきれていないアーティストの方もたくさんいます。
皆さんの青春の思い出の中にきっと、懐かしい歌が流れているでしょう。
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