1972年2月3日から2月13日まで札幌オリンピックが開催されました。
みなさん、思い出しましたか?
ジャンプの笠谷幸生選手の金メダル、そして転びながらも銅メダルを獲得した、愛くるしい笑顔で日本中を虜にしたフィギュアスケートのジャネット・リン選手。
日本中を虜にしたのは、オリンピック選手だけではありませんでした。
今も絶大なる人気のあるパンダが日本に初めて来た年でもあります。
オスの「カンカン」とメスの「ランラン」がパンダブームを巻き起こしました。
パンダも人気でしたが、女性アイドルも人気ありましたよね。
そして、「新三人娘」が誰だったか?覚えていますか⁇
そんな年に、私たちが口ずさんでいた曲はどんな曲か一緒に1972年を探ってみましょう。
1972年のヒット曲、年間ベスト10
1 | 女のみち | 宮史郎とぴんからトリオ | 1972/05/10 | 138.3万枚 |
2 | 瀬戸の花嫁 | 小柳ルミ子 | 1972/04/10 | 69.5万枚 |
3 | さよならをするために | ビリーバンバン | 1972/02/10 | 66.7万枚 |
4 | 旅の宿 | よしだたくろう | 1972/07/01 | 66.6万枚 |
5 | 悪魔がにくい | 平田隆夫とセルスターズ | 1971/08/10 | 65.1万枚 |
6 | ひとりじゃないの | 天地真理 | 1972/05/21 | 60.1万枚 |
7 | 京のにわか雨 | 小柳ルミ子 | 1972/08/10 | 56.9万枚 |
8 | 別れの朝 | ペドロ&カプリシャス | 1971/10/25 | 55.7万枚 |
9 | 小さな恋 | 天地真理 | 1972/02/05 | 54.7万枚 |
10 | 太陽がくれた季節 | 青い三角定規 | 1972/02/25 | 50.2万枚 |
- 1位 宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」
音曲漫才「ぴんからトリオ」として活動していたが、結成10周年記念して「女のみち」を自主制作で300枚プレスし有線放送で流したところ反響があり、レコード会社から発売すると爆発的なヒット曲を飛ばしました。
グループ名の由来は「ピンからトリを」でしたので、大ヒットにより成就したわけですね。
ド演歌と独特な節回しは、当時子どもだった私にはあまり興味のないものでしたが、世間では好評だったので不思議でした。
- 2位 小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」/ 7位 「京のにわか雨」
前年度デビューして年間ヒットチャート1位を獲得したルミ子さん。
2年連続でベスト10入りですね。
「瀬戸の花嫁」は、当時、結婚式披露宴で歌われるウエディングSONGとしても人気ありました。
瀬戸内海の小さな島へ嫁ぐ気持ちと、新たなる決意を瀬戸内海の奇麗な光景を思い立たせる旋律でルミ子さんがのびやかに歌っておりました。
「京のにわか雨」は京都を代表とするご当地ソングの一つに数えられています。
- 3位 ビリーバンバン「さよならをするために」
この曲は浅丘ルリ子さんと石坂浩二さんのドラマの主題歌で主演の石坂さんの作詞でした。
優しい音色でとても美しい曲です、ビリーバンバンのハモリも最高だし、現代だと中々出会わない曲ですよね。
- 4位 よしだたくろう「旅の宿」
よしだたくろう4枚目のシングル。
前作の「結婚しようよ」で人気が出てきたところで「旅の宿」が発売されました。
ぴんからトリオの「女の道が演歌の王道なら、たくろうさんの「旅の宿」はフォークの王道です。
アコースティックギターとハーモニカだけで歌って旅先での様子を伝えておりました。
ちなみに、まだこの時期は「吉田拓郎」ではなく平仮名で「よしだたくろう」でした。
- 5位 平田隆夫とセルスターズ「悪魔がにくい」
平田隆夫とセルスターズと言えば、1972年発売の「ハチのムサシは死んだのさ」の方が強烈な印象でしたが1972年は43位で、売上的には1971年に発売された「悪魔がにくい」の方が年間トップ10入りしております。
- 6位 天地真理「ひとりじゃないの」/ 9位「小さな恋」
1971年、天地が出演していたドラマで2階の窓辺で白いギターを爪弾きながら歌う姿から「隣りのまりちゃん」としてから人気が急上昇。
「ひとりじゃないの」は天地真理の3枚目のシングル曲。
作詞の小谷夏さんは、真理ちゃんが出演していたドラマの演出家でもある久世光彦のペンネームだそうです。
「小さな恋」は天地真理の2枚目のシングル曲。
- 8位 ペドロ&カプリシャス「別れの朝」
曲も歌い手も、グッと大人っぽいです。
何回聞いても、ジーンときます。
ペドロ&カプリシャスのデビュー曲で、初代ボーカルだった前野曜子さんが歌っています。
- 10位 青い三角定規 「太陽がくれた季節」
青春学園ドラマの主題歌です。
あの頃は青春ドラマ流行っていましたよね、懐かしいなぁ。
この歌など、いつも歌っておりました。
歌も青春も、シンプルだけど輝いていた時代だったなぁ
この時代、「新三人娘」と呼ばれていたのは誰?
所属事務所やレコード会社、マスコミなどにより「三人をグループ的に扱うためのキャッチコピー」としてつけられたものです。
従ってグループ歌手などとは違い解散はなく、自然消滅で終わります。
- 初代三人娘…1950年代に活躍、黒柳徹子、横山道代、里見京子、(又は水谷良重)
- 元祖三人娘…1950年代後半に活躍、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ
- スパーク3人娘…1960年前半に活躍、伊東ゆかり、中尾ミエ、園まり
- 東芝三人娘 – 1960年代後半に活躍、小川知子、奥村チヨ、黛ジュン
- 日活三人娘…1960年代に活躍。吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子
そして1971年デビューの同期アイドルで結成された
「新三人娘」、南沙織、小柳ルミ子、天地真理
「三人娘」「三代目三人娘」と言われていましたが、最終的には「新三人娘」の呼称になりました。
女性は「三人娘」で男性は「御三家」、3人でユニットを組み売り出す手法が芸能界に定着していた時代でした。
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