こんにちはHANAです。
みなさんは河島英五(かわしま えいご)というアーティス、どれほどの認知度を持っているのでしょうか?
中高年層には馴染み深くても、若年層にはあまり知られていないかもしれません。
彼の代表曲としてよく挙げられるのは「酒と泪と男と女」、この曲は多くの歌手によってカバーされていますが、河島英五さんの歌声は、男の哀愁、優しさ、そして力強さを表現し、多くの人々の心を揺さぶりました。
しかし、2001年、48歳という若さで突然この世を去り、多くのファンに衝撃を与えました。
今回は、河島英五さんはなぜ若くして旅立ったのか、また残されたお子さんなどの現在の様子や家族の絆などを紹介します。
河島英五、突然の死と死因
河島英五さんは、2001年4月16日、肝臓疾患のため48歳の若さで亡くなりました。
彼の代表曲「酒と泪と男と女」はこちら
この楽曲は彼が18歳で書いた曲で2021年に公開になった彼のノートには「酒と泪と男と女」の歌詞のメモがありました。
18歳でこの歌詞を書いたとは驚きです。
歌い出しの「忘れてしまいたい事や」の部分は「忘れてしまいたいことがいっぱいで」とあり、発表曲とは違うフレーズもありましたが、翌年のノートでは今の歌詞になったそうです。

読売新聞オンライン2021/03/08 より引用
作詞作曲は中学生の頃から始めたようですが、とても細やかな観察眼があり若い頃から才能を伺わせていましたね。
河島英五さんは、この楽曲のイメージとは異なり、実際には酒豪ではありませんでした。
1980年代半ばにC型肝炎と診断されてからは禁煙し、飲酒も打ち上げの乾杯程度に控えていました。
時にはビールの代わりにお茶を飲むこともあったそうです。
デビュー以来、4000回以上もライブをこなしていたパワフルな河島英五さんでしたが、2000年11月に風邪をきっかけに体調を崩しました。
その後も体調不良が続きましたが、多忙を理由に病院へ行かず、市販薬で対処していました。
しかし、2001年1月に吐血して入院「歌えない俺は死んだも同じ」といい、入院中も曲作りに励んでいました。
検査の結果、マロリー・ワイス症候群、肝硬変、静脈瘤と診断されました。
マロリー・ワイス症候群とは
「マロリー・ワイス症候群」という、胃の噴門部の粘膜下の血管が切れて出血する病気です。暴飲暴食が原因で、嘔吐する際にかかる激しい胃の内圧で、食道と胃の境目あたりの粘膜が縦に切り裂かれて大量に出血します。
裂傷が起きるほどの圧力というと不思議に思うでしょうが、嘔吐の際には胃の粘膜に相当な力が加わるのです。引用:おなかの健康ドットコムより
2001年3月11日、半ば無理やり退院して長崎、山口など3カ所でコンサートを開催。
3月24日には長女の結婚式に出席。
そして4月14日の大阪でトーク&ライブショーを終えて帰宅し夜中にも吐血したけど翌日の公演を気にしてか病院を拒み、結局翌朝の4月15日、また吐血し救急搬送され入院しました。
そして4月16日未明、家族に囲まれながら息を引き取りました。
亡くなる直前までコンサートを行うなど、精力的に活動していただけに、その突然の訃報は、日本中に衝撃を与えました。
河島英五、亡き後の娘や息子との絆
河島英五さんには娘さん二人と息子さん一人、三人のお子さんがいます。
2013年河島英五さんの13回忌にあたる4月16日にNHK総合「NHK歌謡コンサート」に出演した英五さんのお子さん3人。
英五さんが生涯で最も大切にしていた曲「心から心へ」を、英五さんの映像と親子共演しました。
河島英五さんの子供たち(左から)河島亜奈睦さん、翔馬さん、あみるさん

デイリー2013.4.13より
河島英五の命日4月16日は、娘「河島あみる」にとって特別な日
河島あみるさんは1977年12月2日生まれで、河島英五さんの長女でタレント活動をしており現在は3児の母親です。

河島あみる (@amiru_kawashima) – Instagramより
河島英五さん最後の作詞である「ピンクのアオザイの裾を夜風にあそばせ -サウスウインド-」(歌:堀ちえみ)は、あみるさんの結婚式に堀ちえみさんがアオザイを着て出席したことが縁で作られ、あみるさん自身も作曲に携わり父親との想い出の楽曲となりました。
堀ちえみ「ピンクのアオザイの裾を夜風にあそばせ-South Wind-」2001.8.17
22thSg。河島英五さんがちえみちゃんをイメージして遺した歌詞に、娘の河島あみるさんが曲をつけ、インディーズからリリース。
14年ぶりの新曲はゆったりと聴ける楽曲になりました。#堀ちえみ#80年代アイドル pic.twitter.com/N93fXwZA23— あっぷるみんと (@applemi21530980) August 16, 2023
私生活では離婚歴があり、河島あみるさんが再婚したのは、2001年に亡くなった父・河島英五さんの命日である4月16日で、それは彼女にとって特別な日であり、2021年に京都文化博物館別館で開催された「河島英五展」の開始日を命日に合わせたのも、彼女が夢で父の展示会を見たこと、そして没後20年という節目が重なったことで、この時期に開催を決断したからでした。
河島英五展 最終版のフライヤーです。
ぜひシェアよろしくお願いします。#河島英五#河島英五展#京都文化博物館#詩人#シンガーソングライター pic.twitter.com/rjLoWj1KsN— 河島英五4/11英五伝発売 (@eigoten2021) February 26, 2021
京都新聞(4月15日)の記事には河島あみるさんが父親の思いを皆さんに届けようという気持ちが綴られておりました。

竜暗雑記帳より引用
河島英五、娘「河島亜奈睦(かわしま あなむ)」は音楽の道へ
河島亜奈睦さんは、1979年大阪生まれのシンガーソングライターで、河島英五さんの次女です。

大人のための音楽より引用
幼少期から父のステージでバックギターやコーラスを務め、2000年に「アナム&マキ」としてデビューしました。
出産を経てソロ活動を再開し、アルバムリリースやライブ活動、楽曲提供など幅広く活躍しています。
河島亜奈睦さんは、父とのデュエットカバーアルバム「re+EIJI」を2016年にリリース。

大人のための音楽より引用
このアルバムは、亜奈睦さんが長年温めてきたアイデアと、父との仮想デュエットという夢を実現したものです。
亜奈睦さんは、父の楽曲を改めて聴き込み、その歌唱力と表現力の深さに感銘を受けたと語っています。
特に「生きてりゃいいさ」は、父への思い入れが強く、歌うことができなかった時期もあったそうですが、このアルバムでついにカバー。
アルバムを通して、父・英五さんの音楽を若い世代にも伝えていきたいと語り、4月16日の命日には、ライブイベントも開催したりと父親との絆は深いものでした。
河島英五、息子「河島翔馬(かわしましょうま)」もシンガーソングライター
河島英五さんの息子、河島翔馬さんは、奈良でカフェを営みながら父親と同じく音楽の道を歩んでいます。
翔馬さんは、父親の死後、その遺志を継ぎ、歌手として活動を開始しました。
父親譲りの力強い歌声と、独自の音楽性で、多くのファンを魅了しています。
2001〜2004年、父の亡き後、その遺志を継ぎ阪神淡路大震災チャリティーコンサート『復興の詩』を神戸文化ホールにて企画

スポーツニッポンより、http://leepi.milkcafe.to/essay/fukkou-vol10.htmより引用
河島英五さんの音楽は、家族への愛、人生の喜びや悲しみ、そして平和への願いなど、普遍的なテーマを歌っていました。
三人の子ども達は、その遺志を継ぎ、彼の音楽とメッセージを伝え続けています。
父親の遺志を継ぎ、2008年に設立された河島英五記念基金は、彼の「自然を愛し、人を愛する」という理念に基づき、自然保護活動を支援しています。
こちらの代表も長男の翔馬さんがしています。
家族の強い絆は、河島英五さんの思いと音楽を支え、未来へと繋いでいます。
まとめ
河島英五さんは、48歳という若さで亡くなりましたが、その音楽とメッセージは、今もなお多くの人々の心に生き続けています。
三人の子ども達、そして多くのファンによって、河島英五さんの音楽は永遠に歌い継がれていくでしょう。
このブログ記事が、河島英五さんの魅力を改めて知るきっかけとなれば幸いです
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