1970年代ヒット曲、1971年のベスト10、 改名してヒット曲に辿り着いたのは誰?

70年代音楽
MEMORIES | 日本マクドナルド 50年の歴史より

1971年、マクドナルド日本第1号店が銀座にオープン。

カップヌードルもこの年に発売になりました。

今では少子化対策に追われておりますが、半世紀前の1971年は第二次ベビーブーム到来しておりました。

活気に満ちた時代に人々が口ずさんだ曲を調べてみました。

1971年のヒット曲、年間ベスト10

1 わたしの城下町 小柳ルミ子 1971/04/25 110.3万枚
2 知床旅情 /西武門哀歌 加藤登紀子 1970/11/01 102.7万枚
3 また逢う日まで 尾崎紀世彦 1971/03/05 92.8万枚
4 傷だらけの人生 鶴田浩二 1970/12/25 77.8万枚
5 ナオミの夢 ヘドバとダビデ 1971/01/25 66.6万枚
6 よこはま・たそがれ 五木ひろし 1971/03/01 60.5万枚
7 花嫁 はしだのりひことクライマックス 1971/01/10 60.5万枚
8 雨のバラード 湯原昌幸 1971/04/01 55.4万枚
9 望郷 森進一 1970/12/25 54.4万枚
10 さらば恋人 堺正章 1971/05/01 52.8万枚
  • 1位は 小柳ルミ子「私の城下町」

小柳ルミ子さん、デビュー曲が1971年の年間シングルチャートの第1位、この時代では偉業だったと思います。

15歳で宝塚音楽学校に入学、首席で卒業後、芸能界入りしているルミ子さんだから歌唱力は抜群でした。

1971年暮れの音楽賞レースでは、「17才」でデビューした南沙織さんとともに数々の賞を受賞しました。

 

  • 2位 加藤登紀子 「知床旅情 /西武門哀歌 」

知床旅情は森繫久彌さんの作詞作曲で森繫節の独特な歌い方でも有名です。

加藤さんとこの曲との出会いがこちらに記されていました。

初デートで「知床旅情」に衝撃、「自分の歌がない」と苦悩した1年間
――歌手デビューした後、藤本さんが歌った「知床旅情」に大きな衝撃を受けたそうですね。

「あれは1968年3月、藤本と初デートした日。渋谷の屋台で飲んでキスした後、私が住む代々木のマンションの屋上に上がって2人で夜空を見上げていたら、突然、藤本が『知床旅情』を朗々と歌って聴かせてくれたんです。その時、私は『知床旅情』という曲を初めて聴いたんだけど、心の底にジーンと響くような歌声で本当に素晴らしかった。藤本って歌がうまいのよ。レコーディングしておけばよかったと思うくらい……。実は京都に『リラ亭』という喫茶店があって、マスターが森繁さんの大ファンでレコードをかけていたんですって。当時、同志社大の学生で店の常連だった藤本が曲に感動し、よく口ずさむようになったらしい」

引用:日本経済新聞2020年6月19日

加藤さんの人生のターニングポイントとなった「知床旅情」でした。

調べていて初めて知ったのが「西武門(にしんじょう)哀歌」字すら読めなかった歌です。

北海道と沖縄、北と南の曲です。

 

  • 3位 尾崎紀世彦 「また逢う日まで 」はこの年のレコード大賞・日本歌謡大賞をW受賞

日英クォーターである尾崎さんは、立派なもみあげや髭がトレードマークでダイナミックな歌声とマッチしておりました。

イケメンで歌が上手くて50年以上たった今見ても違和感なく見れます。

シンプルに上手です!

  • 4位 鶴田浩二 「傷だらけの人生」

鶴田浩二さんのものまねをする人は、セリフで「古い奴だとお思いでしょうが…」からはじまり、左手で左耳を押さえて歌う独特のポーズをして歌います。

鶴田さんは、昭和を代表する映画俳優の一人。

活動半ばから任侠映画のトップスターとして高倉健と共に多くの映画に出演していました。

高田幸吉門下で歌唱力にも優れていた鶴田浩二が、自らの多く演じた任侠映画に出てくる昔気質の侠客ばりに、理不尽な時世、軽佻浮薄な人情への怒りと、日陰育ちのやくざ者の哀しみを歌った重厚な作品で、鶴田のレコードでも代表的なヒット曲となった。

引用:ウィキペディア(Wikipedia)

  • 5位 ヘドバとダビデ「ナオミの夢」

東京国際歌謡音楽祭でグランプリに輝いた「ナオミの夢」

私は当時まだ中学生でしたが、歌詞など理解もせずただこのテンポの良さに惹かれてレコードを購入した記憶があります。

カタカナに弱いこの私でも、何故か「ヘドバとダビデ」は今でも忘れず直ぐ出てくる名前です(笑)

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  • 6位 五木ひろし「よこはま・たそがれ」

『全日本歌謡選手権』で10週勝ち抜き再デビューした曲。

いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」と並び、横浜のご当地ソングとも言われています。

五木さんに関しては、また後ほど取り上げてまいります。

「よこはま・たそがれ/男が泣くとき」EP画像 amazonより

  • 7位 はしだのりひことクライマックス 「花嫁」

1970年代のフォークソングを代表する曲です。

花嫁なのに夜汽車に乗って嫁いでいく…駆け落ちです。

普通なら演歌で取り上げられる暗いイメージのテーマを明るく前向きに仕上げています。

大人になった今だから、しみじみとわかる内容の北山修さんの作詞内容です。

「花嫁/この道」EP版画像 amazonより

8位 湯原昌幸「雨のバラード」

昔の写真を見ていると現代の「濱野 岳さん」のイメージとダブりますが、1947年生まれの湯原さんのソロデビュー2曲目の「雨のバラード」のジャケット写真です。

♪降りしきる雨の…湯原さんの切ない声が曲とマッチしています。

バラエティで見せる湯原さんの姿とは違う一面の「歌手、湯原昌幸」を堪能できる曲です。

濱田さんの奥様は女優・歌手の荒木由美子さんで「おしどり夫婦」として有名です。

「雨のバラード」 EP盤 画像 amazonより

  • 9位 森進一「望郷」

森さんは演歌歌手と呼ばれるのを嫌っていたようで流行歌手と様々なジャンルの曲を歌うことを信条としている。

一見、「望郷」などは女心を歌いあげている猪俣公章さんが作曲した演歌のように受け止められますが、森さんには演歌でなく流行歌なんですね。

森進一さん、若い頃からキリッとしていて好青年ですね。

「望郷」画像 amazonより

  • 10位 堺正章「さらば恋人」

今でこそ「堺先生」「巨匠」などと呼ばれていますが、当時はザ・スパイダース時代からの「マチャアキ」の愛称で親しまれておりました。

じっくりと歌いあげる、素敵な歌詞をより一層素敵な歌に仕上げてしまうマチャアキ

なんでもできるマチャアキだけど、努力しているんだろうなぁ

改名してヒット曲に辿り着いたのは…

五木ひろしさんでした。

1965年6月、『松山まさる 』シングルを計6枚発売するもヒットに至らず。

1967年4月、『一条英一』に改名して再デビュー、シングルを計3枚発売するもヒットに至らず。

1969年12月、『三谷謙』に再び改名して、再デビューを果たすもヒットに至らず。

2度も芸名を変更するなど不遇の時代を過ごし、歌手生命をかけて三谷謙の名で『全日本歌謡選手権』でに挑戦して、10週勝ち抜く。

その後、一日だけ『ナカガワジュン』名義で日劇の舞台に立ったのち

1971年3月に、『五木ひろし』に改名して、再デビューを果たす。

苗字の「五木」は作家の五木寛之さんから作詞家の山口洋子さんが頂いたそうです。

「いいツキをひろおう」という意も入っているそうで、この改名でやっと世に出ることが出来た五木ひろしさんでした。

不遇な時代を乗り越え、キーマンとなる人との出会いを経て、今では日本を代表する演歌歌手となった次第です。

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