1969年から1986年までの17年間、アマチュアコンテストとして多くの優れたシンガー・ソングライターを日本のポピュラー音楽界に送り出してくれた【ヤマハ ポピュラーソングコンテスト】略称「ポプコン」(POPCON)。
ポプコンを知っている世代は、もうシニア世代しかいないかなぁ?
今回は、知らない世代の方にも「こんなコンテストがあったんだぁ」と知ってもらいたくてポプコンを調べてみました。
ポプコン(POPCON)とは?
正式な名前はヤマハポピュラーソングコンテスト。(第1回は当時は「’69 作曲コンクール」という名称でした)
私たちの世代では「ポプコン」と省略して親しまれておりました。
名前の通りヤマハ音楽振興会の主催です。
ポピュラーソングコンテスト
「音楽の歓びは自分で創り、歌い、そして楽しむことにある」という歌ごころ運動の一環として開催された、アマチュアを対象にしたオリジナル曲発表の祭典です。コマーシャリズムに毒されない、新鮮でユニークなアマチュアコンテストとして、幅広く若者達の間に浸透し、日本のポピュラー音楽界にも多くの優れたシンガー・ソングライターをおくりだしました。
引用:YAMAHA MUSIC FOUNDATION
ヤマハ音楽振興会の主催の音楽コンテストは、ポプコンの前身的存在と言える「全日本ライトミュージックコンテスト」( 1967年から1971年まで5回開催されたアマチュア音楽コンテスト)も開催しておりました。
吉田拓郎、赤い鳥、チューリップ、オフコース、SHOW-YAなどを輩出しています。
ポプコンは最初こそ人気は無かったのですが、段々と若者を中心に人気が出てきて今はやりの「フェス」の先駆け的なイベントでした。
ヤマハ音楽振興会の主催で1969年から1986年まで行われたフォーク、ポップス、ロックの音楽コンテストである。略称「ポプコン」(POPCONとも)。後に年2回開かれるようになった。グランプリ優勝者には自動的にレコードデビューが約束され、世界歌謡祭の出場資格を得ることができた。もともと第5回まではプロを対象にしたコンテストで、アマチュア向けのプロへの登龍門として開催されるようになったのは第6回からである。
引用:Wikipedia
ポプコンが日本の音楽界に与えた影響力は多大で、
ポプコンに欠かせないメイン司会者「大石吾朗」(おおいしごろう)
ポプコン第3回大会より、メイン司会者として活躍していた大石 吾郎さん。
ちなみに第1回目の司会者は小島 一慶(こじまいっけい)さんと、平野 レミ(ひらのれみ)さんでした。(第2回は司会者なしの記録でした)
そうかぁ、平野レミさんて今では料理研究家の印象しかないけど、もともとはシャンソン歌手でしたからね、なるほど!とうなずけました。
大石五郎さんは、1971年から1986年まで、ポプコンで入賞した曲を中心にポプコン出身者をゲストに迎えたラジオ番組「コッキーポップ」のDJもしておりました。
ポプコンを世に広めてくれた一人の大石吾朗さんが、以前ニッポン放送開局記念日スペシャルでポプコンについて語ったことが記事になっておりました。
大石吾郎は、番組を通じて、多くのアマチュアミュージシャンをプロにする後押しを行った。大石は、「ポプコンと番組を通じて、シンガーソングライターを発掘し、ニューミュージックブームを作り、多くの才能に出会えたことに感謝したい」と語った。
引用:radiko newsニッポン放送 2019/7/15
ポプコンといえば『つま恋』 多くのアーティストの聖地
ポプコン第1回目の会場は『ヤマハミュージックキャンプホール』でした。
第2回目から第6回目、その後開催されたグランドチャンピオン大会までが『合歓の郷(ねむのさと) 屋内ホール』での開催でした。
1974年の第7回から1986年の第32回まで、会場は変わりポプコンは『つま恋エキジビションホール』で開催されました。(1984年の第27回大会のみ前年に起きたつま恋ガス爆発事故のため東京都の中野サンプラザで開催)
略称『つま恋』は、多くの若者たちに愛され、またその声援を受けて、ここから多くのアーティストが誕生しており、『つま恋』はポプコンの聖地なのです。
近年は聖地巡りとやらが流行っているので往年のファンの方々は、今はつま恋はリゾート地となっておりますので青春探しの旅に立ち寄っても良いですね。
ポプコン歴代グランプリ曲だけでない入賞曲にも名曲がいっぱい!
ポプコンを調べるようになったきっかけは「中島みゆきさん」について情報収集している時にこの動画を見つけたからでした。
この動画には、グランプリ曲だけでなく、名曲の数々が紹介されています。
ポプコン歴代グランプリ曲
個人的に記憶に残ったグランプリを紹介します。
♦1973年10月【73グランプリ大会】小坂明子 「あなた」
200万枚を超える大ヒットを記録し、世界歌謡祭のグランプリまで受賞しました。
メルヘンチックな曲で思春期の私のお気に入りの一曲で、よく歌って将来を夢見ておりました。
♦1975年10月 第10回中島みゆき「時代」
奥が深い歌詞ですよね!時が全てを解決してくれるとシニアな年代になりより痛感しております。
♦1977年10月 第14回世良公則&ツイスト「あんたのバラード」
もう目がハートになる世良公則(せらまさのり)さんでした♡
♦1978年10月 第16回円広志「夢想花」
「とんで」と「まわって」と言う言葉の連呼、「飛んでのおっちゃん」と呼ばれていましたね。
♦1979年10月 第18回クリスタルキング 「大都会」
あの高音の声と低い声の渋い声のハーモニー、今聴いても違和感ない曲です。
♦1981年5月 第21回伊藤敏博「サヨナラ模様」
JRが当時はまだ国鉄でしたね、現職の車掌さんがグランプリ受賞で話題になりました。
♦1981年10月 第22回アラジン「完全無欠のロックンローラー」
一発屋と言っては申し訳ないのですが、続きませんでしたが記憶に残る曲でした。
♦1982年5月 第23回 あみん「待つわ」
1982年のオリコン年間ヒットチャート第1位獲得するヒット曲となりました。
♦1984年10月 第28回TOMCAT(トムキャット)「ふられ気分でRock’n’ Roll」
私の記憶の中では、このTOMCATさんの曲がポプコンとしては最後のヒット曲だったみたいです。
ポプコン歴代グランプリ曲に負けない名曲の数々
- 「わかって下さい 」因幡晃
- 「Do What You Like (勝手にしなよ)」佐野元春
- 「巡恋歌 」長渕剛
- 「愛はかげろう」 雅夢(がむ)
- 「花ぬすびと 」明日香テロップで明日香さんがお亡くなりになったのを見て驚きでした。49歳と言う若さ、無念です。ご冥福をお祈り申し上げます。
- ※更にポプコンのグランプリ曲や入賞曲など詳しく知りたい方は、こちらのサイトをご覧ください。https://www.yamaha-mf.or.jp/history/e-history/popcon/
中島みゆき、チャゲアスなどポプコン出身アーティスト
Memory of POPCONの動画の中では、
中島みゆき・世良公則・クリスタルキング・チャゲ&飛鳥・あみんだけでなく様々なアーテストが紹介されていました。
画像のアーテストは、葛城ゆき、八神純子、TOM・CAT、アラジン、松崎しげる、庄野真代、伊藤 敏博、石川優子、円広志、渡辺真知子、因幡晃…です。
この中で、高校生だった八神純子さんには驚きです。
松崎しげるは、尾崎紀世彦さんかと間違えるほどの風貌ですね。
まだ、この動画の中では「うそ~!」て感じる映像がありました。
♠杉山清貴さん、桑名正博さんではありませんよ。
画像悪くてすみません。見にくいですが、こちらのロン毛の方は玉置浩二さんです(驚)
そして最高に面白い場面が…長渕剛さん。
テロップに「どうしてこうなった」の一文wwwww
まとめ
ポプコン出身のアーティストさんたちは、半世紀近く経った今でも活躍なさっています。
日本の音楽界に新しい時代を作り出してくれたポプコンと言っても過言ではないでしょう。
主催者のヤマハの「音楽の歓びは自分で創り、歌い、そして楽しむことにある」主旨はしっかりと全うされたポプコンでした。
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