こんにちはHANAです。
まだ私が幼い頃は、世の中はGS(グループ・サウンズ)全盛期で今でいうとJ-POPやK-POPのグループ並みにファンが多く、中には失神する人もいて当時の世の中では話題になっていました。
今回は、GS時代にタイムスリップしてみたいと思います。
グループサウンズ 懐かしのグループ一覧
グループサウンズ全盛期の1968年夏頃には100を超えるグループがレコードデビューを果たしておりました。
グループ・サウンズ アイドル的な10グループ
Wikipediaでは当時の主要グループサウンズが紹介されておりました。
グループ・サウンズ アイドル的な10グループ主要10グループ・サウンズ
・ヴィレッジ・シンガーズ(ヴィレッジシンガーズ)
・オックス
・ザ・カーナビーツ
・ザ・ゴールデン・カップス
・ザ・スパイダース(田辺昭知とザ・スパイダース)
・ザ・ジャガーズ
・ブルー・コメッツ(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
・ザ・タイガース
・ザ・テンプターズ
・ザ・ワイルドワンズ(ザ・ワイルド・ワンズ、加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ等)引用:Wikipediaより
懐かしいですよね~!
10グループを詳しく紹介したいけどそれは長くなるので印象的なことだけで簡単に紹介すると…
・ヴィレッジ・シンガーズ(ヴィレッジシンガーズ)
GSと言えば長髪でワイルドなイメージでしたが、彼らは成城大学や成蹊大学をはじめ学生バンド出身なせいか上品で優秀そうなサラリーマン風な雰囲気のGSではちょっと変わったグループでした。
・オックス
ステージ上の激しい動きから放心状態になり倒れこむメンバーがいて話題になり、メンバーだけでなくファンが失神する場面もあり「失神バンド」と呼ばれていました。
・ザ・カーナビーツ
『好きさ好きさ好きさ』を歌うドラムのアイ高野さんが左手で耳をふさぎ、スティックを持った右手を観客に向かって突きだし
おまえの 全てを~
引用:「好きさ好きさ好きさ」楽曲
・ザ・ゴールデン・カップス
メンバー全員がハーフという事で売り出したグループで、私が印象的だったのは「大人の本格派なバンドだなぁ」と感じたこと。
バークリー音楽大学出身のミッキー吉野さんがいたからなのでしょうか、ミッキー吉野さんはバンド活動には欠かせない人物だと思っています。
・ザ・スパイダース(田辺昭知とザ・スパイダース)
日本のグループサウンズの礎をブルー・コメッツと共に築き上げてくれた先駆者です。
メンバーが豪華!
今でこそ「巨匠」と言われているマチャアキこと堺正章さん(さかいまさあき)もメンバーの一人でした、メンバーのその後の活躍も更に充実しております、後ほど紹介しますね。
・ザ・ジャガーズ
リードボーカルの岡本信さん(おかもと しん)は、草刈正雄さんを彷彿させる風貌でイケメンでしたよね。
スパイダース同様、衣装はミリタリー・ルックのイメージが強かったグループでデビュー曲で人気が爆発しましたが、残念なことに移動中動の交通事故で、メンバー全員が頭を縫うなどの負傷を負ってしまい療養中に人気をほかのグループに奪われGSブームの中で人気が後退してしまいました。
・ブルー・コメッツ(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
1960年代、日本のバンドの中で一世を風靡したグループサウンズの1つで「ブルコメ」と呼ばれておりました。
レコード大賞を受賞した「ブルー・シャトウ」は子どもたちの間では替え歌になるほど国民的大ヒット曲になりました。
私も幼い頃口ずさんでいたなぁ…「森トンカツ、泉ニンニク、かコンニャク まれテンプラ」(※テンプラのところがテンドンの時もありました)皆さんも、歌っていたのでは?
・ザ・タイガース
GSでは一番人気だったのではないでしょうか。
私も姉妹でファンでした!姉はジュリー、私はトッポと推しが違いましたが同じタイガースファンなので映画を見に行ったり、遠くまでコンサート見に行ったりと、私の歴史はかなり昔からミーハーだったみたいです。
「ザ・タイガース」に関しては、いっぱい、いっぱい紹介したいので、また別の機会に記事を綴りたいと思います。
・ザ・テンプターズ
GS全盛期をザ・タイガースと共に支えてきたグループで、ショーケンこと萩原健一さん(はぎわら けんいち)さんはザ・タイガースのジュリー(沢田研二さん)と二大アイドルでした。
テンプターズは他のグループが曲を専門家に作ってもらったのを歌っていたのに対して、リーダーの松崎 由治さん(まつざき よしはる)が作詞・作曲した曲で歌っていました。
ボーカルの萩原健一のハスキーな声と繊細さの魅力、ちょい悪感がさらに魅力をアップさせてくれました。
・ザ・ワイルドワンズ(ザ・ワイルド・ワンズ、加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ等)
ワイルドワンズもヴィレッジ・シンガーズ同様、大学出身のメンバーが多くどこかサラリーマン風のカラーのグループでした。
1968年に当時16歳だった「チャッピー」というニックネームの渡辺茂樹さん(わたなべしげき)が新メンバーとして加入し、愛くるしい風貌で一躍人気者になりました。
余談ですが、ドリフターズの加藤茶さんは、チャッピーの従叔父(母親の従兄弟)に当たるそうです。
グループ・サウンズ アイドル的な10グループ以外のグループ
100を超えるグループがレコードデビューを果たしていたので、まだまだ様々なグループが存在しておりました。
ボーカル名を見つけると「あ~ぁ!」と思わず声が出る人もいます。
- Vo. 鈴木ヒロミツさんのザ・モップス(モップス)
- Vo. 湯原昌幸さんのザ・スウィング・ウエスト(ザ・スィング・ウェスト等)
- Vo. 安岡力也さんのシャープ・ホークス
- Vo. G. 喜多嶋修さん(喜多嶋舞さんのお父さん)のザ・ランチャーズ
- Vo. G. 尾崎紀世彦さんのザ・ワンダース
- Vo. G. マイク真木さんのザ・マイクス
- Vo. 麻生レミさんの内田裕也とザ・フラワーズ
- Vo. 町田義人さんのズー・ニー・ヴー
あのレコード大賞受賞者の寺尾聰さん(てらおあきら)もザ・サベージていうグループのメンバーでベースの担当でした。
長年ポプコン司会を務めていた大石吾朗さん(おおいしごろう)もジ・エドワーズてグループでギターを担当しておりました。
グループサウンズ あの 人は今
GS全盛期は長く続かず、たくさんあったグループのメンバーたちはその後どうしたのでしょうか。
解散後、新たなバンドを結成したりして音楽活動を続ける人や俳優として芸能界で活躍する人、作詞作曲家として裏方で活躍する人、芸能界と繋がりながら様々な人生を送っていました。
中には、きっぱりと芸能界とは縁をきり一般人として社会生活を送る人もいました。
今回は代表的なグループ「ザ・スパイダース」の一例を見てみましょう。
ザ・スパイダース(田辺昭知とザ・スパイダース)のその後
♠リーダーだったショウちゃん(昭ちゃん)こと田邊 昭知(田辺 昭知、たなべ しょうち)さんは、日本の芸能プロモーター、田辺エージェンシー代表取締役社長です。
♠ベースのカッペちゃんこと加藤 充(かとう みつる)さんは、新たな拠点を見つけながらベーシストとして音楽活動を続けています。
♠ムッシュことかまやつひろしさんは、新たなバンド活動やソロ活動を送り、2017年に膵癌で78歳で亡くなりました。
♠目がクリっとして甘いルックスの克夫ちゃんこと大野克夫(おおの かつお)さんは、解散後はスーパーグループPYGのメンバーとして活動し、その後井上堯之バンドが解散してからは大野克夫バンドと沢田研二へ数多くの楽曲を提供したり、さまざまな映画、テレビドラマ、テレビアニメの音楽で活躍してます。
♠イノヤンこと井上堯之(いのうえ たかゆき)さんは、大野さん同様、解散後はPYGに参加し、「花・太陽・雨」「自由に歩いて愛して」などを作曲していました。
1972年以降、井上堯之バンドを率いて沢田研二のバックバンドとしての活動の他、映画音楽や歌謡曲などの作曲活動をこなし、さらにライブ・作曲・編曲を中心にソロ活動に固執せず、数々のユニットにも参加していましたが、2018年に敗血症のため死去。享年77歳でした。
♠マチャアキこと堺正章(さかいまさあき)さんは、解散後は、ソロで歌手活動でヒットをとばしたり、視聴率の高い番組に俳優で出演したり、司会、コメディアンと多方面で活動しており、2023年現在も77歳になったマチャアキは「堺先生(しゃかい しぇんしぇい)」と呼ばれながらTV番組で司会を務めております。
♠ジュンちゃんこと井上順(いのうえじゅん)さんは、解散後ソロ活動もし歌手を本業としながら俳優や司会もこなしておりました。
『夜のヒットスタジオ』の男性司会者として最長の9年半の間、3代目司会を務めたのは皆さんの記憶にも残っているのではないでしょうか。
76歳の現在もお元気で、ドラマでジュンちゃんを見かけることがあります。
グループサウンズで 亡くなった人
残念ながら、すでに亡くなった人たちも多くなってきました。
先ほどの『ザ・スパイダース』だけでも、かまやつひろしさん・井上堯之さんとお二人います。
Wikipediaが主要グループサウンズ10として記しているグループの中にも旅立ったメンバーがいます。
『ザ・タイガース』の岸部四郎さん(71歳没)
『ザ・ゴールデン・カップス』のマモル・マヌーさん(71歳没)・ルイズルイス加部さん(71歳没)
『ザ・ワイルドワンズ』の渡辺茂樹さん(63歳没)・加瀬邦彦さん(74歳没)
『ゴールデン・カップス』のデイブ平尾さん(63歳没)
50代という若さで死去したメンバーもいます。
『オックス』の田浦幸さん(後に夏夕介と改名)(59歳没)
『テンプターズ』の大口広司さん(58歳没)・田中俊夫さん(50歳没)
『ブルーコメッツ』の井上大輔さん(58歳没)
『カーナビーツ』のアイ高野さん(55歳没)
『ジャガーズ』の岡本 信さん(59歳没)
近年では、2021年に「ブルー・コメッツ」の高橋健二さんが83歳でお亡くなりになりました。
年齢を見ると、GS全盛期に活躍していた方々も後期高齢者となりもう70代後半から80代前半となっているのですね。
まとめ
GSブーム全盛期の頃はグループサウンズは不良、GS音楽は若者の非行に結びつけられ、一般社会からの風当たりは非常に強かったのですが、GS音楽は現在聴いても古さは感じなくリバイバルされている曲もあるくらい。
日本の音楽業界に新しい風を吹き込んで、GSブームが終わってからも心に残る曲を世の中に届けてくれる音楽活動を続けてくれた人たちに感謝です。
サブスクなどで懐かしいグループサウンズなどを検索して耳を傾けてみませんか?
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