沢田研二、ジュリーの由来は?若い頃の姿と活躍ぶり、そして現在

70年代音楽
@SarahRF__より引用

昭和を代表する歌手の一人、沢田研二さん。

GS時代を経てソロデビューしてからも、『ジュリー』のニックネームで愛され、数々のヒット曲を連発し一世を風靡していました。

『ジュリー』の由来や、若い頃の沢田研二さんの活躍ぶりをまとめてみました。



なんで『ジュリー』と呼ばれるようになったの?

沢田研二さんのファンなら誰もが知っている❝ザ・タイガース❞

ザ・タイガースは1967年2月、「僕のマリー」でレコード・デビューしました。

ザ・タイガースのメンバーはそれぞれニックネームで呼ばれていました。

岸部一徳…サリー・森本太郎…タロー・加橋かつみ…トッポ・瞳みのる…ピー・岸部四郎…シロー・そして沢田研二…ジュリー。

何でジュリーなの?

マネージャーとも相談して好きな女優の

ジュリー・アンドリュースさんの名前を付けました

映画『メリーポピンズ』や『サウンド・オブ・ミュージック』で日本でも有名な女優さんですよね。

沢田研二さんはファンだった人の名前をニックネームにしたということです。

樹木希林さんが『ジュリ~♡』と連呼する姿、懐かしいですね。

 

沢田研二さんの若い頃はイケメンでカッコいい

最近では太った姿で髭ずらの沢田研二さんしか映し出されていませんが、若い頃は超イケメンでカッコよくて妖艶でした、パラシュート付けたりスケスケ衣装などの派手なパフォーマンスで話題になっておりました。

 

40年以上経った今、若い頃のジュリーの画像を見ても違和感なく「カッコいい!」と感じます。

現代では男性の化粧とかピアスや派手な衣装パフォーマンスは、当たり前のように世間に受け入れられておりますが、ジュリーが先駆者のような気がします。



ソロ活動になってからの数々のヒット曲と歌謡曲賞レースでの活躍

沢田研二さんはザ・タイガースの解散後、1971年2月1日に『PYG(ピッグ)』という新たなバンドにさん参加を経て、1971年11月1日発売「君をのせて」でソロデビューしました。現在まで、シングルだけでも80曲発売されております。

沢田研二 ヒット曲

1973年4月に発売された「危険なふたり」は、初のオリコン1位を獲得しております。

1975年8月に発売の「時の過ぎゆくままに」は、沢田さんの最大のヒット曲となりました。

1978年9月発売の「LOVE (抱きしめたい)」はその年の紅白歌合戦でロック・ポップス歌手    として初めての大トリをつとめました。

 

歌謡界の賞レースでの活躍ぶり

1970年~1980年代はTVでは歌謡界では日本レコード大賞、日本有線大賞、日本歌謡大賞など様々な歌謡曲賞レースが盛んでした。

沢田さんも1972年から1983年まで数々の賞を受賞しました。

  • 1972年 「許されない愛」 日本レコード大賞 歌唱賞 ・ 日本有線大賞 優秀賞
  • 1973年 「危険なふたり」 日本歌謡大賞 大賞 ・ 日本レコード大賞 大衆賞 ・ 日本有線大賞 歌唱賞
  • 1974年 「追憶」 日本レコード大賞 歌唱賞
  • 1975年 「巴里にひとり」 FNS歌謡祭 上期特別賞 / 「時の過ぎゆくままに」FNS歌謡祭 下期優秀歌謡賞 ・日本歌謡大賞 放送音楽賞
  • 1977年 「勝手にしやがれ」 日本レコード大賞 大賞 ・ 日本歌謡大賞 大賞 ・ 日本有線大賞 大賞
  • 1978年 「ダーリング」 日本有線大賞 大賞 / 「LOVE (抱きしめたい)」 FNS歌謡祭 グランプリ ・ 日本レコード大賞 最優秀歌唱賞 ・ 日本歌謡大賞 放送音楽賞
  • 1979年 「カサブランカ・ダンディ」 日本レコード大賞 金賞 ・   FNS歌謡祭 優秀歌謡音楽賞 / 「ロンリー・ウルフ」 日本歌謡大賞 放送音楽賞
  • 1980年 「酒場でDABADA」 日本レコード大賞 金賞 ・ 日本歌謡大賞 放送音楽賞
  • 1981年 「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」 日本レコード大賞 金賞 ・ 日本歌謡大賞 放送音楽賞、特別連盟賞
  • 1982年 「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」 日本レコード大賞 金賞 ・ 日本歌謡大賞 放送音楽賞
  • 1983年 「きめてやる今夜」 日本レコード大賞 特別金賞 ・ 日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟賞

※他にも東京音楽祭などを含め、数多く受賞をしていますが私が見ていたTVでの印象深い賞レースだけを取り上げてみました。

ジュリーの輝かしい受賞とは裏腹に、私のジュリーのレコード大賞の思い出の一つに和田アキ子さんが壇上にジュリーを連れて行ったこの場面が残っております。

こちらのツィートをご覧ください。https://twitter.com/6666field/status/1162670798080888832



沢田研二さんの現在

1948年6月25日生まれの沢田研二さん。

数年前にコンサートのドタキャン騒ぎがあったり、志村けんさんの代役で映画に出演などがあり、近年の沢田さんを情報番組などで見受けられた方も多いでしょう。

体型も風貌も随分と変わってきて来ておりますが、ファンにとっては、ジュリーらしさは変わっておりません。

2024年1月12日(金)に東京・LINE CUBE SHIBUYAから始まる「沢田研二 正月LIVE 2024『甲辰 静かなる岩』」のチケットは即完し入手困難なライブとなりました。

そして全国ツアー「沢田研二 LIVE 2024『甲辰 静かなる岩』」を開催!
2024年4月5日(金)のLINE CUBE SHIBUYA公演を皮切りに、全国20公演開催されますが、殆どチケットは完売しております。

沢田研二 のチケット情報

ぴあ音楽より



まとめ

圧倒的な歌唱力と表現力で、常に日本の音楽シーンを牽引してきた沢田研二さん。
その魅力は、一言では語り尽くせません。

デビューから50年以上経った現在も、精力的に活動し続ける沢田さん。
常に新しいことに挑戦し続け、その革新的な音楽性とパフォーマンスで多くのファンを魅了し続けています。

「ジュリー」の愛称で親しまれる沢田さんは、型にはまらない自由な生き方も魅力の一つ。
その唯一無二の存在感は、多くの人の心に深い印象を与えています。

日本の音楽史に名を残すレジェンドである沢田研二さん。
これからも色褪せることのない輝きを放ち続け、多くの人々に夢と希望を与え続けることでしょう。

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