1970年代ヒット曲、1970年ベスト10入りしているアーティストの子どもは誰?

70年代音楽
「太陽の塔」オフィシャルサイトより

誰もが気軽に口ずさむことが出来る1970年代のヒット曲を振り返ってみます。

先ずは1970年(昭和45年)。

3月15日 から 9月13日 までの183日間、大阪で万国博覧会開催され、テーマソング「世界の国からこんにちは」を、♬こんにちは、こんにちは~♪と老若男女問わず楽しく歌っておりました。

明るい話題とは別に、11月には作家の三島由紀夫のクーデター失敗の末、割腹自殺など衝撃的な

出来事もあった1970年でした。


1970年のヒット曲、年間ベスト10

1 黒ネコのタンゴ 皆川おさむ 1969/10/05 141.4万枚
2 ドリフのズンドコ節 ザ・ドリフターズ 1969/11/01 78.2万枚
3 圭子の夢は夜ひらく 藤圭子 1970/04/25 76.4万枚
4 女のブルース 藤圭子 1970/02/05 74.8万枚
5 逢わずに愛して 内山田洋とクールファイブ 1969/12/05 69.8万枚
6 手紙 由紀さおり 1970/07/05 65.5万枚
7 愛は傷つきやすく ヒデとロザンナ 1970/05/25 65.5万枚
8 今日でお別れ 菅原洋一 1969/12/25 60.6万枚
9 ヴィーナス ザ・ショッキング・ブルー 1970/02/20 55.1万枚
10 京都の恋 渚ゆう子 1970/05/25 53.9万枚
  • 1位は 皆川おさむ「黒ネコのタンゴ」

6歳という歯が抜け変わる時期で、またそれが愛嬌があって可愛かったです。

この大ヒットによりこの年は「子ども歌手ブーム」が流行り、大人とユニットを組むこともあり、左卜全とひまわりキティーズによる「老人と子供のポルカ」なども印象的なヒット曲もありました。

  • 2位 ザ・ドリフターズの「ドリフのズンドコ節」

1969年から始まったお化け番組『8時だョ!全員集合』からヒットした曲です。

ズンドコ節は田端義夫さんや、小林旭さんが過去にそれぞれのズンドコ節を歌っていました。

「海軍小唄」の替え歌で、1番を加藤茶、2番を仲本工事、3番を高木ブー、4番を荒井注、5番をいかりや長介、6番をメンバー全員で原曲を歌っていました。

  • 3位 藤圭子さん 「圭子の夢は夜ひらく」/4位 「女のブルース」

藤圭子さんは、ハスキーな声と凄みのある歌い方で人々を魅了しました。

  • 5位 内山田洋とクールファイブの「 逢わずに愛して」

ベスト10のランクをアップしていて、はっ!としたのは、3・4位の藤圭子さんと5位のクールファイブの前川清さんが1971年に結婚して.1972年に離婚したこと。

もう半世紀も経ったいまだからこそ「そうだったよなぁ」と感慨深く感じるのでしょう。

「逢わずに愛して」画像 amazon

  • 6位 由紀さおり「手紙」

この曲のヒットにより、前年度ヒットした『夜明けのスキャット』だけの一発屋とならなくなり良かったと本人が後年コメントしていました。

透き通る歌声で当時21歳の由紀さおりさんが、一緒に暮らしていた男女の別れの歌を切なく歌っています。

当時、由紀さん、21歳には見えないくらい大人びておりました。

「手紙」画像 amazonより

  • 7位 ヒデとロザンナ「愛は傷つきやすく」

歌のサビの部分が掛け合いになるけど、二人ともが上手だから歌のスケールが大きく感じる。

今聞いても、ヒデさんの歌唱力、ほれぼれします。

  • 8位 菅原洋一 「今日でお別れ」。1970年のレコード大賞です。

甘い歌声で大人のラブソングをしっかりとした歌唱力で歌い上げる菅原洋一さん。

とある歌番組で前田武彦さんが菅原さんの丸顔にちなんで「3日前のハンバーグ」とニックネームをつけられて、それ以後「ハンバーグ」が彼の代名詞の愛称となりました。

「今日でお別れ」アルバム画像 amazon

  • 9位 ザ・ショッキング・ブルー「ヴィーナス」

当時、子どもだったけどこれがアメリカなんだぁ…て感じました。

  • 10位 渚ゆう子 「京都の恋」

ザ・ベンチャーズが発売した曲を渚ゆうこさんがカバー。

ミニスカートが似合う綺麗なお姉さんでした。

まろやかな歌声がベンチャーズサウンドとマッチしていました。



1970年 ベスト10入り2曲している藤圭子さんの子どもは誰?

藤圭子さんのお子さんは宇多田ヒカルさんです。

宇多田さんは15歳で1998年に『Automatic/time will tell』でデビューして現在まで第一線で活躍しているアーティストです。

 1969年、やはり希代の表現力を持つ18歳の歌手が『新宿の女』という曲でデビューした。ヒカルの母・藤圭子さんである。

 母娘は誰もが「天才」と認めるところも一緒。デビュー前から藤さんを知り、作品も手掛けた音楽プロデューサ―の故・酒井政利さんは2年前の筆者の取材にこう証言していた。

引用:週刊女性PRIME 2022/1/19

母娘で天才と言われ、藤圭子さんを知っている世代には「あれ?やっぱり似ているね」と思わせるところがありましたよね

母娘にはいろいろあったみたいだけど、ヒカルさんはお母さんのことをリスペクトしていたのでしょうね。



まとめ

1970年、私は12歳でした!「黒ネコのタンゴ」よく歌っていた一人です。
ドリフの歌も!『8時だョ!全員集合』は欠かさず見ていましたから。
由紀さおりさん、当時21歳だったのですね、やはり昔は大人ぽいですね。

当時12歳といえど、このベスト10入りしている曲は全部歌えます♪
昭和の歌は子どもから大人まで、みんなが誰でも歌いやすい楽曲ばかりでした。

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