こんにちはHANAです。
私は60代半ばなので『美空ひばり』さんは、リアルタイムで知っている世代です。
昭和SONGを語るのに、美空ひばりさんを忘れるわけにはいけません。
『美空ひばり』さんは、その名前を聞いただけで多くの日本人の心を打ち震わせる歌姫です。
彼女は透明で力強い歌声で知られ、日本の音楽史に永遠に刻まれる存在です。
1950年代から1980年代までの長いキャリアで、数々のヒット曲を生み出しました。
彼女の魅力的な歌唱スタイルと情熱的な表現力は、多くのファンに愛され続けています。
今回は、日本の音楽界に与えた影響も大きい、『美空ひばりさん』の魅力と彼女が残した素晴らしい業績について探ってみますのでお付き合いくださいね。
美空ひばり、昭和の大スターてどんな人だったの?
美空ひばりさんのプロフィール
美空ひばり(みそら ひばり)
本名は加藤 和枝(かとう かずえ) 愛称は「お嬢(おじょう)」
彼女は1937年5月29日に神奈川県横浜市磯子区生まれ。
1989年(平成元年)6月24日に特発性間質性肺炎の症状悪化による呼吸不全の併発により52歳の若さで死去。
1949年(昭和24年)「河童ブギウギ」で9歳でデビューし、天才少女歌手といわれました。
以降1980年代まで1500を超える曲を録音し、長いキャリアで数々のヒット曲を生み出しました。
ひばりさんは、40有余年にわらり日本の歌謡界の第一線で活躍し自他共に『歌謡界の女王』と認める存在となりました。
また、美空ひばりさんは歌手だけではなく、161本もの映画に出演した名女優でもありました。
ひばりさんが亡くなった後の平成元年7月に、その真摯な努力が歌謡曲や映画を通じて国民に夢と希望をもたらったことが称賛され、彼女は女性として初めて国民栄誉賞を授与されました。
そして没後35年になろうとする現在も、彼女の歌唱力と情熱的な歌唱スタイルは多くのファンに愛され続けています。
戦後の日本に希望を与えた昭和の大スター美空ひばりの活躍
戦後の日本を鼓舞し、子どもたちに希望を与えた彼女が少女期に出演した、『悲しき口笛』(1949年)、『東京キッド』(1950年)は映画とともに同名の主題歌も大ヒットしました。
12歳の少女が主演の映画ですが、持ち前の明るさと歌で苦難を乗り越えていく姿に国民は癒され勇気をもらったのでしょう。
それだけ、美空ひばりさんの演技力・歌唱力は高かったという事ですね。
戦後復興を遂げていった日本人にとって美空ひばりの歌は、明日を生きる活力を与えてくれていたのでしょう。
美空ひばりの曲
代表曲には「悲しき口笛」、「東京キッド」、「リンゴ追分」、「港町十三番地」、「柔」、「悲しい酒」、「おまえに惚れた」、「愛燦燦(あいさんさん)」、「みだれ髪」、「川の流れのように」などがあり、美空ひばりさんはその透明で力強い歌声と豊かな表現力で知られておりました。
美空ひばりさん「柔(やわら)」のヒットはオリンピックと関係あるの?
柔道をテーマにしたテレビドラマの主題歌として誕生した『柔』(やわら)は1964年(昭和39年)11月20日に発売されました。
1964年と言えば日本で初めて開催された東京オリンピックの年です、この大会で初めて柔道が正式競技に採用されたこともあいまって『柔』は翌1965年にかけて爆発的にヒットし、発売から半年足らずで180万枚以上を売り上げました。
当時「テレビ主題歌が演歌では当たらない」というジンクスを破り、大ヒットとなった『柔』、このヒットには戦後の復興と高度成長を象徴する東京オリンピックで金メダルを獲得した日本選手たちによって国民の心を高揚させ、復興への希望を与えたことも関わっているようです。
ひばりさんは男性的なイメージを持たせるために、ステージに登場する際に男装して歌いました、この挑戦的で斬新な演出は観客を驚かせ、話題となり歌詞の一節が、当時の日本人の心に深く響いたようです。
美空ひばりメドレー
この動画は昭和64年1月4日に放送された美空ひばりさんの最後の熱唱シーンを再編集したものだそうです。
昭和64年と言うと、この特別番組のあと再び倒れて6月には帰らぬ人となったので、本当に特集としては最後のものになったのですね。
曲のセトリは
(1)オープニング(川の流れのように)(2)真赤な太陽(3)人生一路(4)お島千太郎(5)ひばりの佐渡情話(6)悲しき口笛(7)私は街の子(8)東京キッド(9)あの丘越えて(10)リンゴ追分(11)花笠道中(12)お祭りマンボ(13)暗夜行路(14)愛燦燦(15)ある女の詩(16)悲しい酒~ひとり寝の子守唄(17)港町十三番地(18)月下美人(19)影を慕いて(20)柔(21)芸道一代(22)背中(23)ハハハ(24)みだれ髪(25)川の流れのように(26)エンディング(川の流れのように) |
ナレーションに森光子さん、最後の部分のナレーションに森繁久彌さんですが、森繁さんの言葉に涙するひばりさんにこちらまでもらい泣きしました。
動画の54:00くらいに始まる「影を慕いて」は私の好きな楽曲の一つです。
古賀政男さんの名曲で藤山一郎さんの歌でしたが、美空ひばりさんがリリースして歌う「影を慕いて」は歌詞の深みと相まって、感情豊かな歌唱は、聴く者の心に強い印象を残しています。
そして、またまた好きな「柔」が続くわけですが、この「静」と「動」の歌の流れを感情豊かに上手に歌いこなす、ひばりさん!これが「美空ひばり」なんです。
美空ひばり「不死鳥コンサート」をNHKが放映
1988年4月11日、東京ドームのこけら落とし公演「不死鳥コンサート」
「不死鳥コンサート」は美空ひばりさんのキャリアにおいて非常に印象的で重要なイベントの一つになりました。
コンサートから35年以上の時が過ぎた2023年12月2日(土)に、NHK BSで「伝説のコンサート」として放映がありました。
そして、2024年2月10日(土)に、今度は地上波のNHK総合で放映がありました。
美空ひばり1988年4月・東京ドームでの公演を、最新のリマスター技術と新たな編集でお届け。その情感あふれる姿や会場の熱気に迫る。コンサートから35年以上の時が過ぎた今、音楽界のみならず戦後日本の文化史に深く刻まれる「女王・ひばり」が残した熱唱を、多くの視聴者に再発見していただく貴重な番組。
見逃した方には、NHKプラスで2024.2.10(土)より2024.2.17(土) 午後5:59 まで見逃し配信されていますのでご覧くださいね。
私はBS放送で昨年見ました、そして録画もしました!
何度見直しても、美空ひばりさんの歌唱力、表現力、精神力、エンターテインメントぶり…あげればきりないほど改めて、偉大さを感じております。
美空ひばり「不死鳥コンサート」のセトリは?(NHK伝説のコンサート版)
1988年4月11日、東京ドームのこけら落としとなるこのコンサートは、復帰公演として開催され、美空ひばりさんが健康上の厳しい状況の中で舞台に立ったことで知られています。
1.終りなき旅 2.悲しき口笛 3.東京キッド 4.越後獅子の唄 5.私は街の子 6.あの丘越えて 7.お祭りマンボ 8.ひばりのマドロスさん 9.三味線マドロス 10.波止場だよ、お父つぁん 11.鼻唄マドロス 12.初恋マドロス 13.港町十三番地 14.花笠道中 15.車屋さん 16.柔MC 挨拶、再出発のステージ「みなさんの愛でひばりは羽ばたく」涙目で感謝の気持ちを伝えてました 17.みだれ髪 (ミニ・ドキュメント)東京ドームへの道※TVではカットされています 21.真赤な太陽 MC thank you~! 「どんなことがあっても、歌を唄っていると忘れる…歌の為に芝居で勉強させてもらった、これからも勉強していきたい…恋もしたいね」などトーク 28.花蕾(はなつぼみ) MC 最後のMC、「今日の感激は私の人生の1ページに残るでしょう、これからもこの感動を忘れず、今度こそつまずかずに生きていきたいとそう願っています。どうかこれからもひばりを見守ってくれますよう、よろしくお願いします。」 38.人生一路 黄昏(コーラス)流れる中、花道を通り退場 |
公演に来て下さったファンのみなさんへ感謝を伝えたいとのことで、ひばりさん本人の希望で客席の真ん中に長い花道が設置されておりました。
本当は歩くことすら出来ないくらい容態は悪かっただろうに、ひばりさんそんな素振りは見せず歩き、一生懸命手を振っていました、ひばりさんの精神力の強さは「歌が好き」からきているんでしょうね。
亡くなってから、またこの場面を見ると「この時、ひばりさんは何を考えていたんだろうか」など考えると、目頭が熱くなってきました。
まとめ
美空ひばりさん、歌詞の深みと共に感情豊かな歌唱が聴く者の心に強烈な印象を残すのでその歌声に心を奪われること必至です!
彼女が「美空ひばり」なのは、その歌唱力や表現力、そしてエンターテインメント性が光るからです。
そして、彼女は歌が好きであり、その中に込められた情熱と愛情からくる精神力の強さが、彼女を偉大なアーティストとして際立たせているのでしょう。
美空ひばりさんの音楽が、昭和の戦後の日本に大きな希望を与え、苦難困難に常に前を向きに立ち向かう気持ちを与えてくれたと感じました。
最後に、私事ですが…(すみません)私の母は、美空ひばりさんより6歳年上でしたが、ひばりさんのファンでした。
母は私が3歳くらいの時から病気で入退院を繰り返しておりました、自宅にいる時は、ひばりさんがTVに出ていると、一緒に母娘で歌っていたものです。
母が好きな歌は「柔」でした、病気に打ち勝ちたいと思っていたので、ひばりさんの力強い歌声に随分と励まされていたと思います、残念ながら母は、36歳と言う若さで旅立ちましたが、母の死後もひばりさんの活躍を見ると、母を思い出せるので幼いながらに、ひばりさんの活躍を喜んでいた私でした。
今回、このブログに取り組むことにより、死後50年あまりたった母の事を昨日のことのように想い起こせました。感謝。
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