こんにちはHANAです。
ニュースでJR新宿駅東口前の商業施設「新宿アルタ」の営業が2025年2月28日で終了すると流れておりました。
私の世代ではアルタと言えば「笑っていいとも!」の収録会場。
ラッキーなことに20代の頃に1回だけ「笑っていいとも!」の収録に観客として参加できました。
番組が終了してから10年経ちましたが、私たちの記憶の中にはしっかりと残っている番組ですね。
今回は「笑っていいとも!」を懐かしんでみたいと思います。
番組が終了して10年、高視聴率を続けた「森田一義アワー 笑っていいとも!」とは?
通称は『笑っていいとも!』、略称は『いいとも!』。
当時の人気お笑いタレントが勢揃いしていた『笑ってる場合ですよ!』の人気番組の後番組として苦戦が予想された『笑っていいとも!』は、タモリさんの起用と斬新な構成で予想を覆し、長寿番組となりました。
25年間連続で民放横並び首位を獲得した『笑っていいとも!』
スタジオアルタから一般観客を入れ、月曜から金曜まで毎日生放送で、タモリさんの冠番組として長年親しまれておりました。
放送期間:1982年10月4日~2014年3月31日
最高視聴率:21.7%
番組放送開始から半年も経たないうちに視聴率が上昇し、同時間帯(月-金曜12時台)の年間平均視聴率では、1989年の統計開始から2013年までの25年間連続で民放横並び首位を獲得しました。
『笑っていいとも!』成功の要因は?
人気番組の後ということもあり、タモリさん自身も3か月から半年での終了を予期していたみたいですが、番組放送開始から半年も経たないうちに人気が出てきた要因はどんなことからなのでしょうか?
①タモリさんの独特な司会進行
タモリさんの独特な進行は、ユーモアのセンス、巧みなトーク、温かい雰囲気、そして彼自身のユニークなキャラクターによって特徴付けられます。
彼のトークは視聴者を楽しませ、番組を親しみやすく、視聴者に親しまれるものにしています。
②斬新なコーナー構成
「テレフォンショッキング」が代表的。 毎回、日替わりでゲストが登場し司会のタモリさんとトークを交わし、ゲストの素顔や知られざる一面を披露し、次回に登場するテレフォンゲストを紹介し、電話で出演依頼を申し込むのがコンセプトのコーナー。
③個性豊かなレギュラー陣
アシスタントには、歴代のいいとも青年隊・少女隊・AD隊がいて、曜日ごとにレギュラー陣がいました。
その曜日ごとのレギュラー陣が凄い!
1985.10~2014.03 の期間レギュラーだった関根勤さんが一番長いのかな?
1987.04 ~2014.03の 笑福亭鶴瓶さんも次に長いですね。
明石家さんまさん、SMAPの香取慎吾さん、中居正広さん、草彅剛さんも印象深いですよね。
また若手芸人が登場し、ネタやコントを披露し新しい才能を発掘し人気が出てきました。
今でこそお笑い界ではベテランの域のダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ナインティナイン、爆笑問題などもレギュラー陣でした。
個性豊かで言えば、大屋政子さん、小森和子さん、たこ八郎さん、おすぎとピーコなどインパクト強かったですよね。
タモリさんと共演すると人気が出てきたのは、タモリさんが魅力を更に引き伸ばしてくれていたからなんでしょうね。
「笑っていいとも 」人気のテレフォンショッキングは長寿コーナー
斬新なコーナー構成でも紹介しましたが、このコーナーが番組の看板で初回から最終回まで一貫して放送されました。
私が観覧に行った頃は、「友達の友達はみな友達だ、世界に広げよう友達の輪、輪っ!」とタモリさんが言って、観客の私たちも最後の「輪っ!」の時に頭の上に輪を手で作っていたものでした。
ゲストは芸能人、タレントに留まらず、作家、歌手、スポーツ選手、芸術家、国会議員と多岐に渡り「友達の輪」は広がっておりました。
タモリさんの「明日来てくれるかな?」「いいとも!」のやりとりは流行語となり最後まで定着しておりました。
テレフォンショッキングに最多出演者は?
テレフォンショッキングに最多出演しているのは、出演回数21回の和田アキ子さんと浅野ゆう子さん。
テレフォンショッキングの最初のゲストと最後のゲストは?
1982年の初回は、タモリさんが大のファンであることを公言していた歌手の桜田淳子さん。
最終回では、最後のゲストとしてビートたけしさんが出演し ギャグ満載の表彰状を披露しておりました。
テレフォンショッキング名物の数々
・ゲストへの花と電報…花屋さん嬉しい悲鳴だっただろうなぁ、電報も可愛いの随分ありましたよね
・ポスター貼り…ゲストが舞台告知などの宣伝ポスターを持ってきたものをタモリさんが「おーい、これ貼っといて」て言い、アシスタントやタモリさんのお弟子さんが貼るのですがこれもタモリさん色々と盛り上げてくれました。
・ゲストが持参するお土産…ゲストのCMタイアップ商品や自身の作品は別として、地方の銘菓、お洒落なスィーツなど結構参考になりました。
他にも「安産祈願」や「100分の1アンケート」などこのコーナーでの名物は数えきれないほどありました。
「笑っていいとも」の再現ありがとう!
先日、TVを見ていてチャンネル変えたとたんに「笑っていいとも」の世界が飛び込んできました!
最初から見ていなかったから「昔のVTRかな?」「えっ、今やっているの⁈」「タモリさん⁇」て次から次へと?? 疑問符で頭の中いっぱいになりました。
タモリさんにソックリ、番組もリアルすぎる!
ラヴィットの「テレフォンショッキング選手権」でした。
✨ラヴィット!いいとも!✨
️タモさんの歌う
早く見たいなぁ今日は、
『夜明けのラヴィット!増刊号』#夜明けのラヴィット !#ラヴィット #笑っていいとも #ジョニー志村 ️#タモリさんの歌うGACKT 様#テレフォンショッキング選手権 ️#三拍子高倉 さん https://t.co/AUxjSyn27j pic.twitter.com/fN6bHAChYQ— *_ (@SHOJI_1962) March 15, 2024
いやぁ~、懐かしかった!そうそう、タモリさんてこうやってトークしていたよなぁ。
テレフォンショッキングのパロディだけど再現してくれてありがとう‼
「笑っていいとも」観覧の想い出
私が「笑っていいとも」の観覧に行ったのは、20代前半の時でした。
もう40年近くも前の話ですね。
会社の同僚が観覧希望を出したところ当たって、「一緒に行ける?」と言われ2つ返事!
2人で会社を休みルンルンと新宿まで出かけました。TVに映らない事を祈りつつ、観覧。
SNSが普及していない時代で良かったです!
テレフォンショッキングのゲストは「舘ひろしさん」カッコ良かったです!あまりにも見惚れていて次、誰に繋げたかは記憶に残っていません。
アシスタントは初代の「いいとも青年隊」でした。まだみんな初々しくて、現在の3人の行く末なんて想像もしておりませんでした。
フジテレビのスタジオよりはアルタの方が観客も100名くらい入るので番組は盛り上がるし、生放送を毎日放映するので、機材やセットもそのままにできるアルタの方がスタッフとしては良かったのでしょうね。
実際、観覧してみて、会場の一体感あったし、出演者さんたちを身近に感じることが出来ました。
まとめ
「笑っていいとも!」は、単なるバラエティ番組ではありませんでした。
それは、時代を映す鏡であり、多くの人々に深い感動を与えたエンターテイメント作品でした。
番組はもうとっくに終了しておりますが、その魅力は永遠に語り継がれていくことでしょう。
そして、アルタの閉館とともに失われた風景も、私たちの心の中で生き続けていくことでしょう。
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