こんにちはHANAです。
先日、TVを見ていたら中森明菜さんの特集場面がありました。
昨年、デビュー40周年を迎えた中森明菜さんですが、彼女のデビューで思い出すのが「スター誕生!」という昭和のアイドル界に多大な影響を与えた伝説のオーデション番組。
当時、中学生だった私も毎週日曜日のお昼前、楽しみにしていた番組でした。
中森明菜さんは、すんなりとこの番組からデビューできた訳ではありません。
彼女のデビューまでの苦労と努力を「スター誕生!」の番組を通して探ってみようと思います。
中森明菜(なかもり あきな)「スター誕生」への挑戦
「スター誕生」と検索すると、2021年5月11日から2022年3月8日まで放映されていた『乃木坂スター誕生!』がヒットしますが、昭和世代の方々にはオーデション番組の「スター誕生」!」ですよね。
「スター誕生!」とは
番組発案者は作詞家の阿久悠(あく ゆう)さんで、それまで大手芸能事務所の渡辺プロダクションのスカウト活動が中心だった芸能界でしたが、一般人の中から埋もれた才能を発掘し、番組がそれをバックアップするといったコンセプトで始めた番組です。
素人にも芸能界にデビューできるチャンスが“開放”されたと画期的なものでした。
この番組から、デビューを果たした歌手は88組92人で大型歌手もたくさん送りだしています。
明菜さんの他にも、森昌子・桜田淳子・山口百恵・岩崎宏美・柏原芳恵・石野真子・小泉今日子・ピンクレディーなど、「スター誕生!」はアイドル黄金期を作り上げたとも言われております。
中森明菜の「スター誕生!」への挑戦
明菜さんは将来スターになるのを夢見てピアノやクラッシックバレエを習っているほどでした。
この時代、歌手を目指すたくさんの人が「スター誕生!」へ挑戦しておりました。
明菜さんもその一人で、スター誕生に応募しておりましたが、なんと、彼女でも書類審査の予選を4回も落ちしていたのです。
彼女のデビュー後の活躍を見てき者としては信じがたい事実ですよね。
応募者は累計で200万人を超えていたので、やはり書類審査を通過するのも大変なことだったのでしょうね。
中森明菜「スター誕生!」への1回目の挑戦は?
明菜さんが13歳の1979年、5回目の応募でやっと書類審査を通過してテレビ予選会へ出場できました。
明菜さんがとった戦略は当時の審査員対策でした。
【審査員の辛口コメントの多い、松田トシ(松田敏江)さんに気に入られて高得点をもらう】
そこで明菜さんは、松田さんの秘蔵っ子岩崎宏美(いわさきひろみ)さんの曲「夏に抱かれて」を予選・本選で歌うことにしました。
しかし、結果は松田さんに【表情に若々しさがない】と辛口コメントを頂き念願の本選の初挑戦は不合格で終わりました。
中森明菜「スター誕生!」へ『青い珊瑚礁』で2回目のチャレンジ
1980年、前年の不合格に負けず、再度チャレンジしました。
応募としては6回目です。
テレビ予選2回目の戦略は前回の松田トシさんに気に入られる作戦をやめ、前回【若々しさがない】と言われたので、1980年にデビューしたばかりの松田聖子(まつだせいこ)さんの「青い珊瑚礁」を選曲して若さをアピールする作戦にしました。
その結果、松田トシさんから…。
「あなた、歌は上手だけど顔が子供っぽいから無理ね。童謡でも歌っていたほうがいいんじゃない?」~Wikipediより引用~
前回は【若々しさがない】そして今回は【子どもっぽい】。
ん?言っていることが正反対だよ! 顔が…と言われてもね、じゃ、ど~すればよいのか、私が明菜さんだったらひるんじゃうわ。
明菜さんは違う!!!
「童謡を歌えとおっしゃいますが、スタ誕では童謡を受け付けてくれないんじゃないですか?」
大御所的な存在の松田トシさんに反論したのです。
当時のマスコミでも話題になりましたし、時を経てもみんなの脳裏には刻み込まれています。
「スタ誕」に出場の中森明菜に審査員の松田トシは「あなたは童謡を歌って出場すべき」。対して明菜は少しもたじろがず「童謡じゃ出場できないじゃないんですか」と返した。デビューも芸名を嫌い本名の中森明菜で押し通す。人が決めた通りやって「あの時こう思った」なんてグチるのは嫌、の己を貫く精神
— 村西とおる (@Muranishi_Toru) November 6, 2022
己を貫く精神…明菜さん、昔からカッコいいですね。
中森明菜「スター誕生!」へ執念の3回目のチャレンジは「夢前案内人」
中森明菜さん、書類審査などで4回落選、テレビ予選で2回落選、合計6回ほど番組の審査に落ちています。
普通なら、もう縁がなかったと挫けてしまいそうですが、彼女は違いました。
7回目の応募をしました。
前回、松田先生に反論したことで、もしかしたら書類審査で落ちてしまうのかという不安もありましたが、彼女の信念の強さをアピールできたことで番組関係者も一目を置いたみたいで無事通過できました。
テレビ予選3回目の戦略は、テレビ予選と本選の歌を変えることでした。
【違う曲を歌うことで幅広い実力を発揮し審査員を飽きさせない】のが作戦でした。
予選は、竹内まりや(たけうち まりや)「September」
本選は、山口百恵(やまぐち ももえ) 「夢前案内人」
明菜さんの作戦は成功しました。
松田先生の得点は低かったものの、審査員の作曲家、中村泰士(なかむら たいじ)さんが明菜さんを評価してくださり、見事、合格しました。
諦めない気持ち、大切ですね!
当時の心境を明菜は、自著『本気だよ 菜の詩─17歳』(小学館刊、1983年)でこう述べている。
〈『スタ誕』に3回も挑戦した女の子は私が初めてなんだって。男の人では新沼謙治さんが5回挑戦したそうだけど……。
あの番組は全国放送でしょ。落ちるとみんなにバレちゃうから、ふつうは2回めくらいであきらめるんだって。私って度胸がいいのかなぁ。っていうより「いつか受かるよ、いつか歌手になれるよ」って信じて疑わなかったから、落ちても恥ずかしい、なんて気持ちはなかったんです。学校に行って友だちにいわれても、べつに平気だったし……〉
引用:集英社オンライン7/28(金)11:01
新沼謙治さんは5回かぁ…すばらしい(拍手)
スラムダンクの中の「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という安西先生の名言と、明菜さんや新沼さんの挑戦が結びつく私です。
最後に、明菜さんのスターへの道が開けた瞬間の動画を見つけたのでアップしますね。
司会は萩本欽一さんでなく、坂本 九さんです。
明菜さんが歌い終わって九ちゃんに
何か質問あったら聞いた方が良いですよ
以前、この番組に出た時「幼すぎる」と言われたので
髪型を変えてきたのですけど、まだ幼く見えるでしょうか?
研音さんのスカウトの方が「現在では年相応に見えます」と答えていました。
やはり、明菜さんは松田先生のコメントを気にしていたのですね。
7番 中森明菜さんは11枚の札を挙げてもらいました
その瞬間、九ちゃんの「良かったね」のひと言が、すべてを物語っていますよね!
最優秀賞発表は松田先生でしたが、心底喜んでくれている様に私には見えました。
今まで辛口コメントばかりでしたが、それに挫けることなく対応してきた明菜さんを認めてくれていると感じました。
阿久悠さんの総評もありましたが、気難しい阿久悠さんが褒めていました。
そして魅力的な歌手になるためのアドバイスもしていました。
最後に、九ちゃんの「上を向いて歩こう」の歌。
日航機ジャンボの事故でお亡くなりになりましたが、歌を聴く度に惜しい人を亡くしたものだと感じます。
いかがでしたか?
最強アイドルの中森明菜さんの芸能界デビューはスカウトでもなく、自分の力でオーデションを受けスターの座を手にしたということ。
しかも、そのオーデションに何回も落選していたこと。
審査員から嫌われたようなことも感じつつ、それでも立ち向かい何度もチャレンジする精神力。
現在、明菜さんはテレビでは見かけませんが、過去の姿を時折、様々な番組で見かけます。
昨年、明菜さんの公式Twitterも開設されました。
2023年はデビュー41年目。
いつも応援してくださるファンのみなさまへ。本日はデビュー記念日となります。こんなにも長い間、みなさまと共に過ごさせていただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。万全な体調ではないため申し訳ない気持ちもいっぱいですが…41年目もどうぞよろしくお願いいたします。あきな
— 中森明菜 (@akinan_official) May 1, 2023
明菜さんの再始動を心待ちにしております。
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