ご挨拶
はじめまして、「懐かしの昭和SONG」運営者の「HANA」です。
私自身が60代半ばという年代であり、昭和時代の音楽は私たちにとって特別な思い出や感動を運んできました。このブログでは、そんな昭和SONGの魅力を共有し、時折懐かしい思い出に浸りながら、共に感じることができる場を提供していきたいと考えています。
私の本業は主人とともに約40年間にわたり営んでいる飲食店で、かつては店内でBGMとして昭和音楽を流していました。
その時、懐かしい曲を耳にすると不思議と気持ちが落ち着き、癒される瞬間がありました。
昭和歌謡曲の魅力は、肩の力を抜いて誰でも簡単に口ずさめること。
演歌・フォーク・アイドル歌謡・ニューミュージック・テクノ歌謡…と様々なヒット曲が誕生。
時代は変わっても、いくつもの曲がカバーされたりCMで使用されたりして注目されております。
1970年代から1980年代にかけての昭和SONGが黄金時代であり、私が青春時代を過ごした音楽が再びブームとなり、若い世代にも受け入れられていることが嬉しいです。
ブログでは、特定のアーティストや時代にフォーカスするだけでなく、皆さんとのコミュニケーションを大切にしながら、様々な角度から昭和SONGを綴っていきます。
これからも一緒に懐かしい音楽の世界を楽しんでいきましょう。どうぞよろしくお願いいたします。
私の「昭和SONG」の楽しみ方
私は昭和SONGを楽しむ様々な方法を取り入れています。
以前、職場では有線放送でBGMを流していたので、その影響で昭和の名曲を耳にすることが多かったです。
さらに、DVDやCDを鑑賞・聴取することも欠かせません。
最近は、60代半ばになると仕事も落ち着いてきており、子どもも独立して家を出てしまったので、家事に費やす時間も減り、親の介護も終わり、やっと時間にゆとりが持てるようになり、今まで行けなかった、いろんなアーティストさんのライブに足を運ぶことが出来て生の音楽を感じる喜びを味わっています。
中でもファンクラブに入会している「さだまさしさん」「中島みゆきさん」のライブ情報には力を入れております。
近いところでは、2023年のさだまさしさんの50周年記念コンサートは4夜連続参加しましたし、年末のカウントダウンコンサートにも出向きました。
今年も、さださんの50周年アンコールコンサートや2024年コンサートに行く予定でチケットをgetしております。
更に、2024年の話題のコンサート中島みゆきさんの「歌会」のプレミアチケットを入手することが出来ました!待ちに待った念願のライブで生の演奏と歌声に触れることで、昔の感動がよみがえります。
他にも色々なアーティストさんのライブに行く予定ですが、過去のアイドルやバンドのライブイベントに参加することで、若かった頃の熱気を再び感じられるのが嬉しいですね。
また新時代の音楽プラットフォームも利用して、私はSpotifyを通じて昭和の名曲を聴いております。
テレビでは、昔は様々な音楽番組がありましたが、最近は地上波ではめっきり減りましたので、BSの昭和歌謡音楽やwowowのライブ収録番組などを視聴しております。
昭和音楽がブームになっているので、時々、地上波でも特番が放映されており、昔の映像が流れるたびに私の若かりし頃の懐かしい時間が戻ってきて、一緒に歌っております。
これらの方法を通じて、私の昭和SONGへの愛着はますます深まっています。
運営者の「昭和SONG」ライフプロフと経歴
母との想い出の昭和SONG
歌謡曲を意識したのはいつ頃だろうかと振り返ると、そこには「母」がいました。
私の母は、病気がちで入退院を繰り返しておりました。
母は「美空ひばり」さんのファンでした、TVドラマの主題歌「柔」などは母娘で一緒によく口ずさんだものでした。
その母を、私は9歳の時に亡くしました、母と一緒に歌ったことは少ない楽しかった想い出の一つで、昭和音楽が好きになったきっかけだったのでしょう。
母を亡くした頃、ピンキーとキラーズが「恋の季節」でブレイクしており、当時、小学生だった私はブタの貯金箱を割り、自分でレコードを買いました。
歌が悲しみを半減してくれました!子どもの私がピンキーの真似をしていると、周囲の大人の顔にも笑みが戻ってきていた記憶が残っております。
今振り返ってみると音楽って、ほんと癒しの効果ありますよね。
姉との昭和SONGの想い出
私には3歳年上の姉がいます、母を亡くした後は姉が私の母親みたいなもので、私は姉の真似ばかりしておりました。
姉が思春期の頃、GS(グループサウンズ)にはまり、ザ・タイガースに夢中になると、私も一緒に歌を聴いておりました。
姉がジュリー(沢田研二さん)のファンなら、私はトッポ(加橋かつみ)のファンで一緒に映画を見に行ったりレコード買ったり、1回だけコンサートに子どもながら行きました。
姉の影響は強く、GSにはかなり詳しくなりました!私は子どもの頃からミーハーだったのですね。
社会人になってからの昭和SONGはバッチリど真ん中!
私が社会人になったのは1976年で、昭和歌謡黄金期を青春時代で過ごした一人です。
当時はアナログ時代で、CDの発売が10年先のことでしたのでレコード盤で音楽を楽しんでおり、街ではジュークボックスがあり、お金を入れて聴きたい楽曲を選んで楽しんでいました。
今では見かけなくなったジュークボックスは、骨董品となってしまいました。
私の社会人スタートは、某大学での勤務でした、学園祭では人気歌手のライブがあり、仕事帰りにラッキーにも見ることができることもありました。
サザンオールスターズがデビューしたばかりの頃のライブも、彼らの若々しさが印象的でした。
庄野真代さんや尾崎亜美さんといったアーティストと間近でお会いできたことは、青春の貴重な想い出となっています。
また独身時代は、ライブにもよく通いました、今みたいにネットでチケット入手などありませんでした。
「チケットぴあ」はあり、雑誌などで情報入手してプレイガイドで購入したもので、人気のコンサートなどは朝早くから店舗が開くのを待ち並んだものでした、東京だからまだプレイガイドも多く助かった方なのかな?
労音や民音などもありました、私は労音派かな…今でも時々利用しております。
昭和SONGは、遊びに仕事に余暇の時間に…と常に身近に存在しておりました。
「懐かしの昭和SONG」のコンテンツ内容
1. 【特定の年代や時期の昭和SONG紹介】70年代や80年代のヒット曲などに焦点を当て、その時代に流行した懐かしの昭和SONGを紹介します。
2. 【アーティストに焦点を当てた記事】 有名なアーティストやバンドにスポットを当て、その代表曲やエピソードを交えながら、彼らが昭和時代の音楽シーンに与えた影響を探ります。
3. 【昭和時代の社会背景と音楽の関連】 時代背景や社会情勢と昭和SONGの関わりを探り、音楽がどのように社会の鏡となっていたかを紹介します。
4. 【カバー曲やリメイク】 昭和SONGが後の時代にどのように再解釈され、カバーされたかを紹介して、元のバージョンとの比較や、新しい解釈での魅力に焦点を当て探ってみます。
これらのアイデアを組み合わせて、様々な視点から「懐かしの昭和SONG」をブログに綴ることで、読者の皆さんに豊かな音楽体験と共感を提供できるようにしたいです。